正願寺と友愛の鐘
I、円通山正願寺
(1)位置 広島県三次市甲奴町小童1348
(2)宗派 曹洞宗
(3)本尊 弥勒菩薩
(4)開山 宗門の不況のため、後に広島の国泰寺4世となった、量巌宗応和尚により開山されている。開山年は「聖徳の調書」によると、貞享元(1684)年となっているが、一説にはそれより少し前の万治年間(1658~1660)であるとも言われている。
(5)所蔵物 ・十六羅漢 作者や年代は不詳であるが、なかなかの逸品である。羅漢は、煩悩を断って悟りをえた聖者を指す。
       ・涅槃図 「宝暦八年(1758)六月吉日施主塩貝九右衛門・・」と墨書されている。製作当時の色合いを残したみごとな作品である。
       ・般若経六百巻 神仏分離政策により、須佐神社より移されたものである。

II、海を渡った梵鐘
 アメリカ合衆国のアトランタ市に、第39代大統領ジミー・カーター氏の業績を讃える記念館「カーターセンター」があります。そのエントランス部分に「備後州小童村円通山正願寺」と刻まれた梵鐘が展示されています。この梵鐘が、朝夕の時報として、仏事が始まる合図として、ときには火災の早鐘として、永い間小童の村人に親しまれていた正願寺の梵鐘なのです。
 正願寺の梵鐘が、どうして「カーターセンター」にあるのでしょう。
 その背景には、大変数奇な経緯があることが分かりました。

(1)、梵鐘の鋳造
  ○ 文政3(1820)年第13世孝隣和尚の代に鋳造されました。孝隣和尚は、「鋳鐘建立記」に「梵鐘を打てば、一に、諸賢聖(仏)が来降する。二に、罪苦を滅す。三に、諸魔を退散させる。」と記して建立を呼びかけています。
  ○ 鋳造は、建立記によると「勅許東大寺方惣御鋳物師備後惣大工職家御調郡宇津戸住 丹下利右衛門艸部延良」で、鎌倉時代に東大寺の梵鐘を鋳造したことで名高い丹下一族である。

(2)、戦争に駆り出された梵鐘
  ○ 戦争は兵器を作るため大量の金属類を必要とします。ところが、昭和6(1931)年に始まった満州事変以後、戦争は延々と続いて長期化し、日本には金属類が大変不足してきました。そこで政府は、昭和16(1941)年に金属類回収令を公布し、一般家庭の金属類は勿論お寺の梵鐘まで出させました。正願寺の梵鐘も昭和17年に戦争に駆り出され、兵器の材料として使用される運命となりました。

(3)、イギリス経由で合衆国へ
  ○ 昭和57(1982)年テーラー氏の子どもミロス・テーラー氏は、アメリカ合衆国のフロリダに移住しました。その際父の遺品である梵鐘も運びました。しかし、3年後にテーラー氏は帰国することになり合衆国で梵鐘を売りに出しました。
  ○ 現地日本人会が梵鐘のことを知り、募金により3000ドル(当時75万円)で購入し、平和運動の拠点であるカーターセンターへ寄贈しました。

(4)、友愛の鐘
  ○ 昭和63(1987)年、当時、参議院議員の秋山肇氏と、元アメリカ合衆国総領事の奥典之氏が、梵鐘に刻まれている文字をたどって正願寺に来られ、梵鐘がカーターセンターに保管されていることを報告されました。
  ○ 平成2(1990)年8月12日、正願寺第2代梵鐘(友愛の鐘)が鋳造され、落慶法要が行われました。
  ○ 平成2年10月、甲奴町の訪問要請に応えカーター元大統領が梵鐘の古里である正願寺に来られ、大統領のメッセージを刻んだ記念碑を除幕し、記念樹(町木の紅梅)を植樹されました。
  ○ 平成3年甲奴町と合衆国アメリカス市は、友好親善のため相互に第一次友好訪問団を派遣しました。甲奴町からは中学3年生を中心に派遣し現在も継続しています。
  ○ 平成6年、ジミー・カーター・シビックセンターが落成する。カーター元大統領夫妻も落成式典に参加され、正願寺を再度訪問されました。