<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?>
<urlset xmlns:video="http://www.google.com/schemas/sitemap-video/1.1" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance" xmlns="http://www.sitemaps.org/schemas/sitemap/0.9" xsi:schemaLocation="http://www.sitemaps.org/schemas/sitemap/0.9 http://www.sitemaps.org/schemas/sitemap/0.9/sitemap.xsd">
<url>
<loc>https://cartercenter.jp/our-story/平和のシンボルとなった正願寺の梵鐘</loc>
<video:video>
<video:thumbnail_loc>https://i.ytimg.com/vi/id3wc9lhgZw/hqdefault.jpg</video:thumbnail_loc>
<video:title>正願寺の鐘音　　朝霧の中、祈りの鐘</video:title>
<video:description><![CDATA[正願寺の前の梵鐘は、第二次世界大戦末期に、砲弾の資材として呉海軍工廠に供出された。ところが終戦となり、その後の数奇な経緯を得て、アトランタ市のカーターセンターに「平和の鐘」として展示されている。
　寺に残されている「鋳鐘建立記」によると、この梵鐘は、文政三年（一八二〇）に一三世孝麟住職の代に鋳造されている。孝麟住職は「打鐘に三種の高徳あ り、一には諸賢聖来降す、二には聴者の罪苦を減す、三にはよく衆魔を退散させる」と記し、建立を呼び掛けている。これに応じて約三一〇戸から米銀の寄付が なされている。
　鋳造は、「勅許東大寺方惣御鋳物師備後惣大工職家御調郡宇津戸住　丹下利右衛門艸部延良」と記されている。丹下利右衛門は、記録 から分かるように、鎌倉時代に東大寺の梵鐘を鋳造した、丹下一族の子孫であって、勅許を得た大変優れた鋳物師である。したがって、長年に渡って築かれた鋳 造技術の元に造られた梵鐘で、どこに出しても恥じない梵鐘であると言える。
　一九九〇（平成二）年一〇月二一日、ジミー・カーター元アメリカ合衆 国大統領は、「平和の鐘」の故郷である甲奴町を訪問され、正願寺にある二代目の「平和の鐘」を突かれた。甲奴町は、このような正願寺の梵鐘とカーター元大 統領の縁で、アメリカ合衆国アメリカス市と友好都市の提携を結び交流を続けている。

（文責　福原　勲　小童村誌より）

詳しくは、ジミー・カーターシビックセンターHP　http://cartercenter.jp へ]]></video:description>
<video:player_loc allow_embed="yes" autoplay="ap=1">https://www.youtube.com/embed/id3wc9lhgZw</video:player_loc>
<video:duration>314</video:duration>
<video:publication_date>2012-06-06T01:43:54+00:00</video:publication_date>
<video:live>no</video:live>
</video:video> 
</url>
</urlset>