平和のシンボルとなった正願寺の梵鐘
円通寺 正願寺 甲奴町小童 政広 一三四八
2.本尊 薬師如来
3.由来
正願は、のち広島の国泰寺四世となった量厳宗応和尚が、曹洞の一山を小童に開き、宗門の布教に努めた。
開山年は「正徳の調書」によると。貞亮元年(一六八四)三月となっている。一説にはそれより少し前の万治年間(一六五八~一六六〇)
でもあるとも言われている。伝承によれば、桂正寺を廃寺して正願寺を創立したと言われている。それを裏付ける資料として、過去帳が正願寺に引き継がれ、先祖の供養がなされている。
量厳宗応和尚は、正願寺を開いた後、二世高外恵尊和尚に寺を禅(ゆず)って広島に帰り、最後は嶺雲院で示寂した。二世高外恵尊和尚は法統を継承して寺の興隆をはかり、曹洞の布教にあたり、無量寺(現三次市)の開山となった。
4.歴代住職
一世 量厳宗応 - 二世 高外恵尊 - 三世 俊扇達禅 - 四世 呉雲奏音 - 五世 仙州弘道
六世 眼中恵眼 - 七世 巨壑歓喜 - 八世 演法諦観 - 九世 東岳教林 - 一〇世 宝岩魯鏡
一一世 覚仙悟参 - 一二世 徳岩良麟 - 一三世 祖狩孝麟 - 一四世 得応角麟 - 一五世 徳麟角応
十六世 徳扇泰麟 - 一七世 奏厳康隆 - 一八世 大円知雄 - 一九世 瑞泉象歩
5.建造物 ア 本堂 イ 釣鐘 ウ 山門 エ 庫裡 オ 宝物殿
6.檀家 六四戸
資料 「平和のシンボルとなった正願寺の梵鐘」
正願寺の前の梵鐘は、第二次世界大戦末期に、砲弾の資材として呉海軍工廠に供出された。ところが終戦となり、その後の数奇な経緯を得て、アトランタ市のカーターセンターに「平和の鐘」として展示されている。
寺に残されている「鋳鐘建立記」によると、この梵鐘は、文政三年(一八二〇)に一三世孝麟住職の代に鋳造されている。孝麟住職は「打鐘に三種の高徳あ り、一には諸賢聖来降す、二には聴者の罪苦を減す、三にはよく衆魔を退散させる」と記し、建立を呼び掛けている。これに応じて約三一〇戸から米銀の寄付が なされている。
鋳造は、「勅許東大寺方惣御鋳物師備後惣大工職家御調郡宇津戸住 丹下利右衛門艸部延良」と記されている。丹下利右衛門は、記録 から分かるように、鎌倉時代に東大寺の梵鐘を鋳造した、丹下一族の子孫であって、勅許を得た大変優れた鋳物師である。したがって、長年に渡って築かれた鋳 造技術の元に造られた梵鐘で、どこに出しても恥じない梵鐘であると言える。
一九九〇(平成二)年一〇月二一日、ジミー・カーター元アメリカ合衆 国大統領は、「平和の鐘」の故郷である甲奴町を訪問され、正願寺にある二代目の「平和の鐘」を突かれた。甲奴町は、このような正願寺の梵鐘とカーター元大 統領の縁で、アメリカ合衆国アメリカス市と友好都市の提携を結び交流を続けている。
(文責 福原 勲 小童村誌より)
正願寺( しょうがんじ )
車 山陽自動車道三原久井ICから約40分、中国自動車道三次ICから約40分・庄原ICから約30分
公共 JR福塩線甲奴駅から車で10分、
広島バスセンターからピースライナーで甲奴駅まで2時間 駐車場あり ( 20台 )